久留里城は城姫クエストに登場します

久留里城

 

久留里城

 

久留里城が里見氏の居城となったのはいつ!?

 

久留里城は戦国時代大名、里見氏の居城として広く知られています。築城については平将門の三男東少輔頼胤が夢のお告げがあり築城したとの伝承がありますが、確証はありません。史実として久留里城が登場するは、甲斐源氏の支族である上総武田氏の祖、武田信長が1455年に上総守護代に任ぜられ、その翌年に築城したと言われています。そしてこの久留里城を三男の信房に与えました。その後、戦国時代に入り、弱体化した武田氏の勝(すぐろ)真勝が城主のときに里見成義が進駐し、無血開城したとの軍記物での記述がありますが、実際は実尭もしくは義尭の時代ではなかろうかとの見解が有力です。里見氏の入城の時期については諸説あり、このお城に里見氏がいつ入城したのかははっきりとは定まっていません。

 

対北条氏の最前線であった久留里城

 

1535年、真里谷武田氏の内乱に乗じて北進した里見義尭が新たに城地を定め、現在の久留里城が築かれました。そしてこの城を本拠地と定めて支配しました。1538年、後北条氏、真里谷武田氏、古河公方の連合軍に破れた里見氏は一時安房まで退去を余儀なくされていますが、すぐにこれを奪還。その後1554年に北条綱成が2万の軍で久留里城を包囲した際にはこれを撃退しました。1560年にも再度北条氏に侵攻をされた際には、里見氏の家臣、正木大膳が長尾景虎(上杉謙信)に救援を要請し、謙信が関東に進出するきっかけを作りました。しかし、1964年には後北条氏に破れ、久留里城はまたも後北条氏の手に落ちますが、これもすぐに奪還。1567年、1581年、1588年と度々後北条氏の侵攻にあいますが、その都度撃退しています。久留里城はまさに強力な北条氏からの最前線だったのです。

 

江戸時代以降の久留里城

 

1590年の小田原の役の後、里見氏は安房に戻され、久留里城には徳川氏譜代の大須賀氏、土屋氏、酒井氏が続けて入城しました。天守が築かれたのは黒田氏になってからです。その後は黒田氏が支配し続け、明治を迎えています。久留里城は標高145mの山に作られた中世の山城が基盤になっています。尾根に沿って二の丸、三の丸が築かれました。周囲には堀切や土塀、曲輪が作られ、防御設備とされています。今も、曲輪、堀切、井戸、天守台、模擬天守の遺構を見ることができます。

 

 

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