城姫・首里城を知るために歴史を学ぼう!

首里城

 

首里城

 

首里城が創建されたのはいつか

 

首里城のある沖縄はかつて15世紀に琉球王国が誕生し、以後450年に渡って国王を中心とした王国が存在していました。中国を中心に東アジアや東南アジア、日本と活発な交易や外交が行われ、首里城はその中心にありました。しかし実はその首里城は創建年がはっきりしていません。1424年に建立された「安国山樹下木記碑」には首里城の北側の整備を行ったことが記されていて、1424年以後に建てられたことが推測されます。次に歴史に登場するのは、王位を巡る争いによって1453年に焼失されたという事件によってです。

 

琉球王国の華麗な王城

 

首里城は見事なまでの華麗な装飾で施されている城郭です。中国の影響を大きく受けているのが見てとれます。首里城は大まかに内郭と外郭で構成されていて、内郭には正殿を始め、お城の主要な建物がほとんど配置されています。場外に面する外壁には、歓会門、継世門、久慶門、木曳門が配置されています。内郭には御庭(うなー)を中心とした行政空間が広がり、その奥には御内原と呼ばれる居住空間があります。特に御内原は男子禁制でした。首里城は、城門や城壁による要塞としての機能に加え、朝政や儀式を執り行う場所としての空間、そして居住空間など様々な性質をもったお城でした。

 

数度に渡る焼失と復元

 

1660年に首里城は再度焼失しています。その後、1709年に失火により再々度焼失。1715年にようやく再建がなされました。1853年にはペリー提督率いる黒船が琉球にも来航し、ここでは歓待を受けています。明治維新後、政府の明け渡し要求を受け、首里城は明治政府に引き渡されることとなりました。その後首里城には軍隊が駐屯し、軍隊の撤退後は学校として使用されました。しかし、太平洋戦争における沖縄戦で首里城は灰燼と化してしまったのです。その後、1973年に「首里城復元期成会」が結成され、城郭内の建物が次々と復元されていきました。1992年になってようやく首里城公園として一部開園を迎えることになったのです。

 

 

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